こんにちは。塾予備校部門枚方本校の福山です。
徒然草『いでや、この世に生まれては』の口語訳&品詞分解です。 当時の人としての理想像についてのお話です。 私たちにも参考になることがあるかもしれません😉 ぜひ定期テスト対策にお役立てください!
✿ 本文:太字、現代語訳:赤字 ✿
徒然草『いでや、この世に生まれては』
いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。 さてまあ、この世に生まれたからには、願わしく思うはずのことが多いようだ。
帝の御位はいともかしこし。 天皇の御位はたいそう恐れ多いものだ。
竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。 皇族の末流のご子孫までも、人間界の血筋でないのが実に貴いことだ。
一の人の御ありさまはさらなり、ただ人も、舎人など給はるきははゆゆしと見ゆ。 摂政・関白のご様子は言うまでもない、普通の貴族でも、舎人などを(朝廷から)いただく身分は立派に見える。
その子・孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。 その子・孫までは、おちぶれてしまっていても、やはり優雅である。
それより下つ方は、ほどにつけつつ、時に合ひ、したり顔なるも、 それより下の身分の者は、身分や家柄に応じて、時流に乗り、得意顔であるのも、
みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。 自分では立派だと思っているのだろうが、たいそうつまらないものだ。
法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。 法師ほどうらやましくないものはあるまい。
「人には木の端のやうに思はるるよ。」 「人には木の端のように思われるよ。」
と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。 と清少納言が書いているのも、本当にもっともなことだよ。
いきほひ猛に、ののしりたるにつけて、いみじとは見えず。 (法師が)権勢盛んで、世間で高い評判が立っているのにつけても、立派だとは見えない。
増賀聖の言ひけんやうに、名聞苦しく、 増賀上人が言ったとかいうように、世間的な名声に執着して、
仏の御教へにたがふらんとぞおぼゆる。 そのために身を苦しめ、仏のお教えに背いているだろうと思われる。
ひたふるの世捨て人は、なかなかあらまほしき方もありなん。 一途な世捨て人は、きっとかえって好ましい点もあるだろう。
人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。 人は、容貌や風采がすぐれているようなのこそ、望ましいことだろう。
ものうち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、 ちょっと何か言ったときでも、聞きにくくなく、やさしくあたたかみがあって、
言葉多からぬこそ、飽かず向かはまほしけれ。 口数の多くない人は、飽きることなく対座していたいものだ。
めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えんこそ、くちをしかるべけれ。 立派だと思っていた人が、期待はずれに思われる本性を見せるようなのは残念なことだろう。
品・かたちこそ生まれつきたらめ、 家柄や容貌は生まれつき備わっているであろうが、
心はなどか、賢きより賢きにも移さば移らざらん。 心はどうして、(今)賢いよりも(さらに)賢いほうへ移そうとしたら移らないことがあろうか。
かたち・心ざまよき人も、才なくなりぬれば、 容貌・気だてのよい人も、学問的な教養がないということになると、
品下り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、 家柄も劣り、顔の憎々しげな人にも立ち交わって、
かけず、けおさるるこそ、本意なきわざなれ。 たわいなく、圧倒されてしまうのは、不本意なことである。
ありたきことは、まことしき文の道、作文、和歌、管弦の道、 そうあってほしいことは、本格的な学問の道、漢詩を作ること、和歌、音楽の道(に通じていること)、
また有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。 また有職故実や儀礼の方面(に明らかで)、人の範であるというのはすばらしいにちがいない。
手などつたなからず走り書き、声をかしくて拍子とり、 筆跡なども下手ではなくすらすらと書き、声がよくて笏拍子を打って歌い、
いたましうするものから、下戸ならぬこそ、男はよけれ。 迷惑そうにするものの、酒嫌いでないのが、男としてはよい。
※ 品詞分解はこちら → 徒然草『いでや、この世に生まれては』
☆予想問題はこちら
→ 徒然草『いでや、この世に生まれては』
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