「朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや」と言いますね。
もっとも、「朋遠方より来る有り、また楽しからずや」の方が➀人口に膾炙してますが。
実は読み方が諸説あるのですが、前者の方が個人的にはしっくりきます。
みなさんこんにちは。大和田本校の小林です。
表題と冒頭が完全に不一致ですね(笑)。
先週は上記のような1週間となりました。2学期本科がスタートしてバタバタしだす時期です。
ともすればこころがささくれ立ちそうなこんな時に、小林の元を巣立っていった生徒たちが何人か連絡をくれ、小林にこころの平穏をくれました。
三国一の果報者と言えば古いですが、「幸せ」の一語に尽きると思っています。
小林は➁一介の教師であり、彼ら彼女らの人生にしてみれば、小林との時間は一瞬です。刹那と言ってもいいでしょう。
刹那とは「ほんの一瞬」という意味ですが、その背景には刹那滅という仏教の思想があります。すべてのものは生まれたその瞬間に消滅する。受験国語の世界では古典の無常観がそれですね。
さて、その本来生起した瞬間に消滅していたはずの小林との時間を➂掬い取り、訪ねてくれる。あるいは連絡をくれる。
小林のレーゾンデートルが彼ら彼女らにはあります。
閑話休題
小林がブログを更新するときはいつも少し小難しいですね(小林と話をしてみるとそんな小難しい人間ではないということがわかるかと思いますが)。何も➃衒学趣味というわけではないのです。国語の勉強の本質の一端なのですね。このブログを読んでくれる人がいるのなら、読み進めるだけで国語力がつく。そういう意図のもとに書かれています。
目次
今伸び悩んでいる君たちへ
夏期集中講座も終わり、国語に伸び悩みを感じている生徒はほとんど間違いなく言葉を知らない。
突然ですが、クイズです。下記の言葉の意味をどれほど自信をもって答えられますか。
「つじつま」「いぶかしい」「したたか」「あごを出す」「いたたまれない」
「しどろもどろ」「公算」「えてして」「せつせつと」「やおら」
どうでしょう、すべて意味が分かりますか。実はこれらは小学校中学年(3~4年生)の教材に取られている言葉たちです。
こういった言葉を知らないと、そりゃ受験現代文なんて読むことはできません。何せ筆者(と出題者)はこれらの言葉は当然知っているだろう思って書いて(出題して)いるからです。
小林が言葉にこだわるのはこのためです。
京大に受かる生徒ですら最近の生徒は語彙が➄覚束ない。由々しき事態です。
今伸び悩んでいる君たちへのアドバイス
(1)自分がどれほどの言葉を知っているのか客観的に踏まえましょう。
(2)上記の言葉でどれか一つでもひっかかりがあるのであれば、言葉を知らないと思い知りましょう。
(3)そして、言葉の学習を始めましょう。
英単語と違って辞書的な意味を覚えるのではありません。当該語彙をつかって簡単な例文が作れるかどうか。
「彼はやおらベッドから起き上がった」
この程度の短文でいいのです。自分が仕える能動的語彙を増やすこと。
そうでなければ、いくら問題集を解いてもその解説は空理空論となるでしょう。
ヴィトゲンシュタインの私的言語論ではありませんが、他人には分からない、話者(筆者)だけにしか理解できない「私的言語」という考えは言葉の本質の一側面であると思います。それを文脈という糸でつなぎとめることで他者に通じさせることができます。ところが言葉を知らなければ、せっかく文脈というアリアドネの糸で➅紡がれたテクストが理解できない。当然、読めない→分からない→解けないという負の連鎖に陥ります。
焦ってやみくもに難しい問題集を解いてもダメ。それもしなければいけませんが、それだけではダメ。
英語でもいうでしょう、More haste less speed.って。
先生、じゃあどんな教材を使ったらいい?
これは小林まで聞きに来てください。
問 下線部➀から➅の読みと意味を答えよ。