国語ができる子どもを育てるために⑥ 読解の(国語の)基礎体力その2

みなさん、こんにちは。大和田本校の小林です。
今日は中3生の能力診断テストがありました。
手ごたえを感じた生徒諸君!その調子で頑張りましょう。
失敗したなという生徒諸君!猛反省&猛復習です。みんなガンバレ

さて、前回の続きです。洋の東西を隔てた自然観の相違について。

創世記第1章26節から31節です。

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。

男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。
産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。
神は言われた。
「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」
そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。
夕べがあり、朝があった。第六の日である。

つまり、キリスト教では自然を支配の対象と見ます

一方、日本では八百万の神々がいます。
山には山の神様がいて、海には海の神様がいます。
トイレにだって神様がいます(笑)。
それら神々に比べたら、人間なんてちっぽけな存在です。

だから自然を支配するなんて考えも及ばない
そこで日本人は自然を敬い、一体化しようとします。
古文を読んでいて出家者が山中に草庵を結ぶことがありますが、
これはまさに自然との一体化です。
すると自然を支配というキリスト教とは逆ベクトルが発生する。

ベクトルが逆なのでこれらが本文中で対比されます。

が、ここからが重要です。

日本の自然観では、自然とは偉大なものなので
ちっぽけな人間に保護されるような存在でもない
のです。

すると次の図式が成り立ちます。
西洋=自然を支配→人間が住みよいように自然を変える→自然破壊
日本=自然を敬う→人間は自然の恵みに感謝する→自然を保護しない→自然破壊

ベクトルが逆なのに結論は同じなのです。
受験では上記のような論調を基軸にした文章が出題されることが多い。
以上のことを知っているのと知らないのでは、本文の理解度が随分と違いますよね。

次回、基礎体力編2のまとめです。
基礎体力編2で一番伝えたいところです。
やっぱり次回も必読ですね(笑)。