ちょっと違和感が…

さて,本日は,いつもとは趣向の異なる文章ですが,読んでいただければ幸いです。

2021年度のNHK大河ドラマ「青天を衝け」は,ご存知のように,新一万円札のデザインに用いられる渋沢栄一の生涯を描いたものです。
皆さん,ご覧になっていますか? 本稿の筆者は毎週録画して視聴しています。
史実そのものを描いたわけではなく,あくまでフィクションも含む歴史ドラマとして楽しんでおりますが,幕末から明治・大正時代にかけての日本近代史の復習にもなりますね。
1週間に一度,わずか45分,ドラマを見ながら勉強にも役立つ。日本史選択の受験生諸君,これを利用しない手はありません。

しかーし…。
その第14話,5月16日放送分に,違和感を覚える箇所がありました。
放送開始26分後あたりで,吉沢亮さん演じる栄一が,徳川(一橋)慶喜の家臣平岡円四郎の話を聞いた後,

「目から鱗が落ちた…」

…みたいだった云々,と語るシーンです。

え?

筆者の記憶が確かならば,この「目から鱗が落ちる」というフレーズは,原典が新約聖書のはず。
一橋家家臣の末端に加えられた直後の栄一が,(史実として)既に新約聖書を読んでいた…のか?
ドラマ内ではその辺りの事情については何も描かれていません。
「果たして栄一はもう聖書を読んでいたのか?」「当時,このフレーズが京都の人々の間に普及していたのか?」
妙に気になって,調べてみました(こんなとき,インターネットというのは本当に便利なツールですね)。

渋沢栄一が一橋家に仕えることになったのは1863年頃。
幕末期に来日した宣教師たちによって,新約聖書の日本語訳が出版(それも禁教下で)されたのは1872年以降とのこと。
(この翻訳事業で中心的役割を果たしたのが,ローマ字で有名なヘボン J. C. Hepburn だそうです。)
以上の事柄を考えれば,栄一が「目から…」というセリフを口にするのはまずありえないことですね。
とすると,このセリフ,シナリオライター氏が,つい筆を滑らせてしまった,ということなのでしょう。

歴史ドラマなので,時代考証はしっかり行われているはずなのですが,こんな綻びもあったりするのですね。

というわけで,どんな些細なことでも,違和感を覚えた時は,その原因を突き止めるべく,ほんのちょっぴり時間をとって調べてみるだけで,いろんな新しい知識が身につきます。聖書の日本語訳の歴史,ヘボンの関与,等々…それらが受験に直接役立つか否かは,ある意味「時の運」ですけれど,ね。

常日頃の勉強でも同じこと。わずかでも疑問を覚えたことは,何であれ,まず調べてみる。
それでもわからない場合は,知っていそうな人に質問する。これは確実に受験に役立ちますね。
ちなみに,筆者が中学生の頃,would like to〜を「〜したい」と訳すことに違和感を覚え,学校の先生に「wouldは過去形やねんから『〜したかった』と違うん?」と質問したところ「『〜したい』と覚えておけばそれでええんや」と,まともに答えてもらえなかったのはちょっぴり悲しい思い出です。

さて,生徒の皆さん。
日々の学習の中で覚えた違和感,些細な疑問,どんなものでもそのままにせず,調べてみましょう。
自分で調べてわからない場合は,少なくとも英語に関する限り,いつでも筆者のところまで来てくださいね(would like toでも何でも…)
どうぞご遠慮なく。お気軽に。先生をうまく利用…いやいや,「活用」してくださいな

(にゃんこ派fjk記す)