定期テスト対策_古典_増鏡_口語訳&品詞分解

こんにちは。塾予備校部門枚方本校の福山です。
増鏡の口語訳&品詞分解です。

増鏡」は南北朝時代歴史物語です。
先日までの大鏡などを合わせた四鏡のうち、成立順、内容順にも最後にあたり、出来事を年代順に書く編年体で書かれています。

ぜひテスト対策にお役立てください。

✿ 本文:太字、現代語訳:赤字 

増鏡『時頼と時宗』

故時頼朝臣は、康元元年にかしら下ろしてのち、
故〔北条〕時頼朝臣は、康元元年〔一二五六年〕に出家してのち、

忍びて諸国を修行しありきけり。
人目につかぬように隠れて諸国を修行して歩き回った。

それも、国々のありさま、人の愁へなど、
それも、国々の様子や、人々の嘆き訴えることなどを、

詳しくあなぐり見聞かんのはかりことにてありける。
詳しく探し求めて見聞きするということの計画であったのだよ。

あやしの宿りに立ち寄りては、その家主がありさまを問ひ聞く。
粗末な家に立ち寄っては、その家の主の様子を尋ねて聞く。

理ある愁へなどの埋もれたるを聞きひらきては、
道理のある愁訴などで取り上げられずにいるものを聞き出しては、

「我はあやしき身なれど、昔、よろしき主持ち奉りし、
「私はいやしい身分であるが、昔、身分の高い主人をお持ち申し上げたのだが、

いまだ世にやおはすると、消息奉らん。
その方が、まだ世に栄えていらっしゃるかと(思うので)、手紙を差し上げよう。

持てまうでて聞こえ給へ。」など言へば、
(それを)持って(鎌倉へ)参上して(事情を)申し上げなさい。」などと言うので、

「なでふことなき修行者の、何ばかり。」
「たいしたことのない修行者が、どれほど(のことができるだろうか、いや、できるはずがない)。」

とは思ひながら、言ひ合はせて、その文を持ちて東へ行きて、
とは思うけれども、(仲間と)相談して、その手紙を持って鎌倉へ行って、

しかじかと教へしままに言ひてみれば、
こうこうと(修行者の)教えたとおりに言ってみると、

入道殿の御消息なりけり。「あなかま、あなかま。」とて、
(それは)入道殿〔時頼〕のお手紙であったのだよ。「ああやかましい、静かに。」と言って、

長く愁へなきやうにははからひつ。
(役人はその後)長く愁訴のないように処置した。

仏神などの現れ給へるかとて、みな額をつきて喜びけり。
(訴え出た人々は)仏神などが現れなさったのかと言って、みな額をついて喜んだ。

かやうのこと、すべて数知らずありしほどに、
こういうことは、全くたくさんあったために、

国々も心づかひをのみしけり。
諸国の役人たちも(悪い政治を行わないように)もっぱら心配りをした。

最明寺の入道とぞいひける。それが子なればにや、
(この時頼のことを)最明寺の入道といった。その方の子だからであろうか、

今の時宗朝臣もいとめでたき者にて、
今の(執権の)時宗朝臣もたいそう優れた者であって、

「本院のかく世をおぼし捨てんずる、
「本院〔後深草院〕がこのようにご出家なさるということは、

いとかたじけなくあはれなる御ことなり。
たいそう恐れ多くお気の毒なことである。

故院の御おきては、やうこそあらめ。なれど、
故院〔後嵯峨院〕のご遺勅は、理由があるのだろう。けれども、

そこらの御兄にて、させる御誤りもおはしまさざらん。
(本院は)たくさんの皇子たちの御兄上であって、これといったご過失もおありにならないだろう。

いかでかたちまちに名残なくはものし給ふべき。
どうして急に(皇位と)関わりなくおなりになってよいだろうか、いや、よくない。

いとたいだいしきわざなり。」とて、新院へも奏し、
絶対にあるまじきことだ。」と言って、新院〔亀山院〕にも奏上し、

かなたこなたなだめ申して、
(本院と新院の)あちらもこちらもとりなし申し上げて、

東の御方の若宮を坊に奉りぬ。
(後深草院の皇子である)東の御方の若宮を(後宇多天皇の)皇太子にお立て申し上げた。

十月五日、節会行はれて、いとめでたし。
十月五日、立太子の節会が行われて、本当に祝賀すべきことである。

かかれば、少し御心慰めて、
だから、(本院は)少しお心の憂さを晴らして、

このきはに強ひて背かせ給ふべき御道心にもあらねば、
このときに無理にご出家なさらなければならない仏道のご信心でもないので、

おぼしとまりぬ。これぞあるべきことと、
(ご出家を)思いとどまりなさった。これが当然なことだと、

あいなう世の人も思ひ言ふべし。
無遠慮に世間の人も思ってほめるにちがいない。

※ 品詞分解はこちら
増鏡「時頼と時宗」

 

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定期テスト対策_古典_増鏡_口語訳&品詞分解

こんにちは。塾予備校部門枚方本校の福山です。
増鏡の口語訳&品詞分解です。

増鏡」は南北朝時代歴史物語です。
先日までの大鏡などを合わせた四鏡のうち、成立順、内容順にも最後にあたり、出来事を年代順に書く編年体で書かれています。

ぜひテスト対策にお役立てください。

✿ 本文:太字、現代語訳:赤字 

増鏡『後鳥羽院』

このおはします所は、人離れ、里遠き島の中なり。
この(後鳥羽院の)いらっしゃる所は、人気がなく、村里から遠い島の中である。

海づらよりは少し引き入りて、山陰にかたそへて、
海辺からは少し引き込んでいて、山陰に片寄せて(建てて)、

大きやかなる巌のそばだてるをたよりにて、
大きな巌がそびえ立っているのをよるべとして、

松の柱に葦ふける廊など、けしきばかりことそぎたり。
松の柱に葦をふいてある廊などは、ほんの形ばかりで簡素に作ってある。

まことに、「柴の庵のただしばし」と、
本当に、「柴の庵(を仮の宿として住む身)のようにほんのしばらく(生きるだけの世に)。」と、

かりそめに見えたる御宿りなれど、さる方に、
間に合わせに見えるお住まいであるが、それはそれとして、

なまめかしくゆゑづきてしなさせ給へり。
優雅に由緒ありげに作り上げていらっしゃる。

水無瀬殿おぼし出づるも夢のやうになん。
水無瀬殿をお思いだしになるのも全く夢のように(お感じになる)。

はるばると見やらるる海の眺望、
はるか遠くまで見渡される海の眺望は、

二千里の外も残りなき心地する、
二千里の彼方まで余すところなく見渡される気持ちがするのは、

いまさらめきたり。
(白居易の詩の心が)今改めてしみじみと思われる。

潮風のいとこちたく吹き来るを聞こしめして、
潮風がたいそうひどく吹いて来るのをお聞きになって、

我こそは  新島守よ  隠岐の海の  荒き波風  心して吹け
私は(この隠岐の)島の新しい番人であるぞ。
隠岐の海の激しい風よ、気をつけて(静かに)吹け。

同じ世に  またすみの江の  月や見ん  今日こそよそに  おきの島守
同じこの世で、再び住江の澄んだ月を見ることがあろうか。
今は都を遠く離れた場所に身を置き、隠岐の島守となっているが。

年も返りぬ。所々浦々、
年も改まった。あちらこちらの海辺に流されている後鳥羽院の皇子たちは、

あはれなることをのみおぼし嘆く。
しみじみと悲しいことばかりをお嘆きになる。

佐渡院、明け暮れ御行ひをのみし給ひつつ、
佐渡(に流された順徳)院は、朝から晩まで勤行ばかりをなさっては、

なほさりともとおぼさる。
やはりいくらなんでも(いつかは都に帰ることができるだろう)とお思いになる。

隠岐には、浦より遠のはるばると霞みわたれる空を
隠岐では、海辺から遠くのはるばると一面に霞んでいる空を

ながめ入りて、過ぎにし方、
もの思いにふけりながらぼんやりと御覧になって、過ぎ去った昔のことを、

かきつくし思ほし出づるに、行方なき御涙のみぞとどまらぬ。
残らずお思い出しになるにつけても、とめどなく流れる御涙が全くとまらない。

うらやまし  長き日影の  春にあひて  潮くむ海人も  袖やほすらん
うらやましいことだ。日の光が長い春になって、潮をくむ海人も、
今ごろは(濡れた)袖を乾かしているのだろうか。(私の袖は涙のために乾くことがないのに)。

夏になりて、茅ぶきの軒端に五月雨のしづくいと所狭きも、
夏になって、茅ぶきの軒先に五月雨のしずくがたいそうひっきりなしであるのも、

御覧じ慣れぬ御心地に、さま変はりてめづらしくおぼさる。
見慣れていらっしゃらないお気持ちに、様子が変わって目新しくお感じになる。

あやめふく  茅が軒端に  風過ぎて  しどろに落つる  村雨の露
(端午の節句で)あやめをふく茅ぶきの軒先に風が吹き過ぎて、乱れて落ちるにわか雨のしずくよ。

※ 品詞分解はこちら
増鏡「後鳥羽院」

 

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定期テスト対策_古典_大鏡_口語訳&品詞分解

こんにちは。塾予備校部門枚方本校の福山です。
大鏡の口語訳&品詞分解です。

大鏡」は平安時代後期に成立した歴史物語で、
人物ごとの業績をまとめていく紀伝体で書かれています。
大鏡では2人の老人が主に藤原道長の実績について語り合っています。

ぜひテスト対策にお役立てください。

✿ 本文:太字、現代語訳:赤字 

大鏡『道長と隆家』

入道殿の土御門殿にて御遊びあるに、
入道殿〔藤原道長〕の土御門殿でご遊宴があったときに、

「かやうのことに、権中納言のなきこそ、
「こういう催しに、権中納言〔藤原隆家〕がいないのは、

なほさうざうしけれ。」とのたまはせて、
やはりもの足りないことだ。」とおっしゃって、

わざと御消息聞こえさせ給ふほど、
わざわざご案内を申し上げなさいましたが、その間、

杯あまたたびになりて、人々乱れ給ひて、
杯の数も重なって、人々は酔い乱れなさって、

紐おしやりて候はるるに、この中納言参り給へれば、
(お着物の)紐を解いて(くつろいで)伺候していらっしゃったところ、この中納言〔隆家〕が参上されました。

うるはしくなりて、居直りなどせられければ、
それで、(人々は)居ずまいを正して、座り直したりなどなさいましたので、

殿、「とく御紐解かせ給へ。こと破れ侍りぬべし。」
入道殿が(隆家に)、「早く(お着物の)紐をお解きなさい。興がさめてしまいそうです。」

と仰せられければ、かしこまりて啗留し給ふを、
とおっしゃったところ、(隆家公はやはり)かしこまってためらっていらっしゃるのを、

公信偕、後ろより、「解き奉らむ。」とて寄り給ふに、
〔藤原〕公信偕が、後ろから、「(私が)解いてさしあげましょう。」と言って近寄りなさると、

中納言御けしきあしくなりて、「隆家は不運なることこそあれ、
中納言殿はご機嫌が悪くなって、「この隆家は不運なことがあるとはいえ、

そこたちにかやうにせらるべき身にもあらず。」と、
そなたたちにこんなふうに扱われるはずの身ではない。」と、

荒らかにのたまふに、人々御けしき変はり給へる中にも、
荒々しくおっしゃるので、人々はお顔色が変わりなさいましたが、

今の民部偕殿は、うはぐみて、人々の御顔をとかく見給ひつつ、
中でも、今の民部偕殿〔源俊賢〕は、興奮して、人々のお顔をあれこれ見回しなさりながら、

「こと出で来なむず。いみじきわざかな。」とおぼしたり。
「きっとひと騒動起こるにちがいない。えらいことだなあ。」と思っておいでです。

入道殿、うち笑はせ給ひて、
入道殿は、お笑いになって、

「今日は、かやうのたはぶれごと侍らでありなむ。
「今日は、そのような冗談ごとはなしにいたしませんか。

道長解き奉らむ。」とて、
(隆家公のお紐は)道長が解いてさしあげましょう。」とおっしゃって、

寄らせ給ひて、はらはらと解き奉らせ給ふに、
おそばへお寄りになって、さらさらとお解き申し上げなさると、

「これらこそあるべきことよ。」とて、御けしき直り給ひて、
(隆家公は)「これこそふさわしいお扱い方ですよ。」とおっしゃって、ご機嫌もお直りになって、

さし置かれつる杯取り給ひて、あまたたび召し、
置かれていた杯をお取りになって、杯を重ねられ、

常よりも乱れ遊ばせ給ひけるさまなど、あらまほしくおはしけり。
ふだんよりも羽目を外してお遊びになったありさまなど、好ましくていらっしゃいました。

殿もいみじうぞもてはやし聞こえさせ給うける。
殿〔道長〕も(隆家公を)非常にご歓待申し上げなさったことです。

※ 品詞分解はこちら
大鏡「道長と隆家」

 

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定期テスト対策_古典_大鏡_口語訳&品詞分解

こんにちは。塾予備校部門枚方本校の福山です。
大鏡の口語訳&品詞分解です。

大鏡」は平安時代後期に成立した歴史物語で、
人物ごとの業績をまとめていく紀伝体で書かれています。
大鏡では2人の老人が主に藤原道長の実績について語り合っています。

ぜひテスト対策にお役立てください。

✿ 本文:太字、現代語訳:赤字 

大鏡『道長の豪胆』

さるべき人は、とうより御心魂の猛く、
将来偉くおなりになるはずの人は、若いときからご胆力が強く、

御守りもこはきなめりとおぼえ侍るは。
神仏のご加護も堅固であるようだと思われますなあ。

花山院の御時に、五月下つ闇に、五月雨も過ぎて、
花山院のご在位中に、五月下旬の闇夜に、五月雨の季節も過ぎたのに、

いとおどろおどろしくかきたれ雨の降る夜、
たいそう気持ち悪くざあざあ雨が降る夜、

帝、さうざうしとやおぼしめしけむ、
帝は、もの足りなくて寂しいことだとお思いになったのだろうか、

殿上に出でさせおはしまして、遊びおはしましけるに、
清涼殿の殿上の間にお出ましになって、楽しんでいらっしゃったが、

人々、物語申しなどし給うて、
人々が、あれこれの話題をお話し申し上げなどなさって、

昔恐ろしかりけることどもなどに申しなり給へるに、
昔の恐ろしかった話などに移って参りました折、

「今宵こそいとむつかしげなる夜なめれ。
(帝は)「今夜はひどく無気味な感じの夜であるようだ。

かく人がちなるだに、けしきおぼゆ。
このように人が大勢いる所さえ、不気味な感じがする。

まして、もの離れたる所など、いかならむ。
まして、遠く離れた(人気のない)所などは、どんな具合だろう。

さあらむ所に一人いなむや。」と仰せられけるに、
そのような所に一人で行けるだろうか。」と仰せになったところが、

「えまからじ。」とのみ申し給ひけるを、入道殿は、
「とても参れないでしょう。」と(みな)お答え申し上げるばかりでしたのに、入道殿〔道長〕は、

「いづくなりともまかりなむ。」と申し給ひければ、
「どこであっても必ず参りましょう。」と申し上げなさいましたので、

さるところおはします帝にて、「いと興あることなり。
そうしたことをお興じになるご性格の帝ですから、「たいへんおもしろいことだ。

さらば、行け。道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗籠、
それでは、行け。道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗籠、

道長は大極殿へ行け。」と仰せられければ、
道長は大極殿へ行け。」とお命じになりましたので、

よその君達は、便なきことをも奏してけるかなと思ふ。
(行くことを命じられなかった)ほかの君達は、「(道長公は)つまらぬことを申し上げたものだなあ。」と思っている。

また、承らせ給へる殿ばらは、御けしき変はりて、
一方、勅命をお受けになった道隆・道兼公は、お顔の色が変わって、

益なしとおぼしたるに、入道殿は、
困ったなあとお思いになったが、入道殿〔道長〕は、

つゆさる御けしきもなくて、「私の従者をば具し候はじ。
少しもそんなご様子もなくて、「私個人の家来などは連れて行きますまい。

この陣の吉上まれ、滝口まれ、一人を、
この近衛府の詰め所の下役人でも、滝口の武士でもよい、だれか一人に、

『昭慶門まで送れ。』と仰せ言給べ。
『大極殿の入口近くの昭慶門まで送れ。』と勅命をお下しください。

それより内には、一人入り侍らむ。」と申し給へば、
そこから内へは、一人で入りましょう。」と申し上げられた。

「証なきこと。」と仰せらるるに、
そこで(帝が)「(本当に行ったかどうか)証拠がないよ。」と仰せになると、

「げに。」とて、
(道長公は)「なるほど、そのとおりだ。」とおっしゃって、

御手箱に置かせ給へる小刀まして立ち給ひぬ。
(帝が)御手箱に入れておいでになっていた小刀をお借りしてお出かけになった。

いま二所も、苦む苦むおのおのおはさうじぬ。
もうお二方も、いやいやながらそれぞれお出かけになった。

「子四つ。」と奏して、
「子四つ〔午前零時半ごろ〕。」と時を奏上してから、

かく仰せられ議するほどに、丑にもなりにけむ。
こういう仰せがあって話し合ううちに(時がたって)、(出発は)丑の刻〔午前二時ごろ〕にもなったでしょう。

「道隆は右衛門の陣より出でよ。道長は承明門より出でよ。」と、
「道隆は右衛門府の詰め所から出よ。道長は承明門から出よ。」と、

それをさへ分かたせ給へば、しかおはしまし合へるに、
(帝は)行く道筋までも別々になさいましたので、そのご指示どおり三人はお出かけになりましたが……。

中の関白殿、陣まで念じておはしましたるに、
中の関白〔道隆〕は、右衛門府の詰め所まで我慢していらっしゃったものの、

宴の松原のほどに、そのものともなき声どもの聞こゆるに、
(宜秋門の外の)宴の松原のあたりで、何ともわからない声々が聞こえるので、

ずちなくて帰り給ふ。粟田殿は、
どうしようもなくてお帰りになる。粟田殿〔道兼〕は、

露台の外まで、わななくわななくおはしたるに、
(紫宸殿と仁寿殿との間にある)露台の外まで、ぶるぶるふるえながらいらっしゃったが、

仁寿殿の東面のみぎりのほどに、
仁寿殿の東側の軒下の石畳のあたりで、

軒と等しき人のあるやうに見え給ひければ、
軒と同じくらいの高さの巨人がいるようにお見えになったので、

ものもおぼえで、「身の候はばこそ、
無我夢中で、「この身が無事でございましたらこそ、

仰せ言も承らめ。」とて、おのおの立ち帰り参り給へれば、
ご命令も承りましょう(死んでは何にもならない)。」と言って、各々お戻りになりましたので、

御扇をたたきて笑はせ給ふに、
(帝は)御扇をたたいてお笑いになりましたが、

入道殿はいと久しく見えさせ給はぬを、
入道殿〔道長〕はずいぶん長くお見えにならないので、

いかがとおぼしめすほどにぞ、いとさりげなく、
どうしたのかなと(気がかりに)思っていらっしゃる折も折、全く平然と、

ことにもあらずげにて、参らせ給へる。
何でもないという様子で、(道長公は)ご帰参になった。

「いかにいかに。」と問はせ給へば、いとのどやかに、
「どうだったか、どうだったか。」とご下問になると、(道長公は)まことに落ち着いて、

御刀に削られたる物を取り具して奉らせ給ふに、
(帝にお借りした)御刀に削り取りなさったものを添えて(帝に)お差し上げになるので、

「こは何ぞ。」と仰せらるれば、
「これは何だ。」と(帝が)お尋ねになると、

「ただにて帰り参りて侍らむは、証候ふまじきにより、
「何も持たずに帰参いたしましたらそれは、証拠がございますまいと思いましたので、

高御座の南面の柱のもとを削りて候ふなり。」と、
大極殿中央の高御座の南側の柱の下のほうを削っているのです。」と、

つれなく申し給ふに、いとあさましくおぼしめさる。
(道長公は)平然と申し上げなさいましたので、(帝も)たいそう驚きあきれたこととお思いになる。

こと殿たちの御けしきは、いかにもなほ直らで、
ほかの二人の殿方〔道隆と道兼〕のお顔色は、何としてもやはり常の様子に直らず、

この殿のかくて参り給へるを、
この道長公がこうしてご帰参になったのを、

帝よりはじめ感じののしられ給へど、
帝をはじめ人々が驚嘆の声をあげてほめそやしていらっしゃるけれども、

うらやましきにや、またいかなるにか、
(この二人は)うらやましいのか、それともどんなお気持ちなのか、

ものも言はでぞ候ひ給ひける。
一言も口を開かずに控えていらっしゃった。

なほ、疑はしくおぼしめされければ、つとめて、
(帝は)それでもやはり疑わしくお思いになったので、翌朝、

「蔵人して、削りくづをつがはしてみよ。」
「蔵人に命じて、(道長の持ち帰った)削り壺を(柱に)あてがわせてみよ。」

と仰せ言ありければ、持て行きて押しつけて見給びけるに、
と仰せ言がございましたので、持って行って(柱に)押しつけて見られたところ、

つゆたがはざりけり。その削り跡は、いとけざやかにて侍めり。
少しも違いませんでした。その削り跡は、とても鮮明であるようです。

末の世にも、見る人は、なほあさましきことにぞ申ししかし。
後世になっても、(それを)見る人は、やはり驚嘆すべきことだと申したものでしたよ。

※ 品詞分解はこちら
大鏡「道長の豪胆」

 

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定期テスト対策_古文_現代語訳&品詞分解_リスト

こんにちは!枚方市の塾予備校 KEC枚方本校の藤原です

古典の口語語訳と品詞分解リスト更新しました
定期テスト対策などにご活用ください!今後もアップしていきます!

—- リスト ————————————————-
あ行
伊勢物語『初冠
伊勢物語『通ひ路の関守
伊勢物語『小野の雪
今物語『やさし蔵人
宇治拾遺物語『袴垂、保昌に合ふ事』
うたたね『出家の決意』(前半)
うたたね『出家の決意』(後半)
大鏡『時平と道真』
大鏡『三舟の才』
大鏡『雲林院の菩提講』
大鏡『花山天皇の出家』
大鏡『道長と伊周―弓争ひ―』
大鏡『時平と道真』NEW
大鏡『兼通と兼家の不和』NEW
大鏡『道隆と福足君』NEW
大鏡『道長の豪胆』NEW
大鏡『道長と隆家』NEW
おらが春『添へ乳』

か行
蜻蛉日記『うつろいたる菊
唐物語『王子戍、戴安道を訪ぬる語
唐物語『王昭君、絵姿を醜く写され、胡の王に嫁ぐ語』
癇癖談「当代の流行」
源氏物語『光る君の誕生』(前半)
源氏物語『光る君の誕生』(後半)
源氏物語『若紫』(前半)
源氏物語『若紫』(後半)
源氏物語「須磨の秋」(前半)
源氏物語「須磨の秋」(後半)
源氏物語「住吉参詣」
源氏物語「明石の姫君の入内」(前半)
源氏物語「明石の姫君の入内」(後半)
源氏物語「紫の上の死」
源氏物語「薫と宇治の姫君」(前半)
源氏物語「薫と宇治の姫君」(後半)
建礼門院右京大夫集『資盛との思ひ出』
建礼門院右京大夫集『悲報到来』
古今著聞集(橘 成季)『小式部内侍が大江山の歌の事』
古今和歌集
今昔物語集「藤原為時、詩を作りて越前守に任ぜらるる語」

さ行
更級日記『門出』
更級日記『源氏の五十余巻』
更級日記『大納言殿の姫君』
沙石集「歌ゆゑに命を失ふ事」
十訓抄『成方の笛』
春夏秋冬
新古今和歌集

た行
竹取物語『帝の求婚
竹取物語『かぐや姫の昇天』(前半)
竹取物語『かぐや姫の昇天』(後半)
堤中納言物語『このついで』①
堤中納言物語『このついで』②
堤中納言物語『このついで』③
徒然草『いでや、この世に生まれては』
徒然草『あだし野の露消ゆるときなく』
徒然草『久しく隔たりて会ひたる人の』
徒然草『名を聞くより』
徒然草『ある者、子を法師になして』
俊頼髄脳「歌のよしあし」
俊頼髄脳「沓冠折句の歌」

な行

は行
平家物語『木曾の最期①(最後の合戦)
平家物語『木曾の最期②(巴の戦い)
平家物語『忠度の都落ち』(前半)
平家物語『忠度の都落ち』(後半)
平家物語『能登殿の最期』
方丈記『ゆく川の流れ』
方丈記『安元の大火』
発心集「叡実、路頭の病者を憐れむ事」

ま行
枕草子『二月つごもりごろに
枕草子『春は、あけぼの』
枕草子『木の花は』
枕草子『かたはらいたきもの』
枕草子『すさまじきもの』
枕草子『村上の先帝の御時に』
枕草子『ふと心劣りとかするものは』
枕草子「宮に初めて参りたるころ」
枕草子「古今の草子を」
枕草子「この草子、目に見え心に思ふことを」
増鏡『後鳥羽院』NEW
万葉集『夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寝ねにけらしも』
万葉集『東の野にかげろひの立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ
万葉集
無名抄「関路の落葉」
無名抄「深草の里」
無名草子「清少納言」
無名草子「紫式部」
無名草子「文」

や行
大和物語『苔の衣
大和物語『姨捨
義経記『忠信、吉野山の合戦の事』(前半)
義経記『忠信、吉野山の合戦の事』(後半)
義経記『如意の渡りにて義経を弁慶打ち奉る事』

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定期テスト対策_古典_大鏡_口語訳&品詞分解

こんにちは。塾予備校部門枚方本校の福山です。
大鏡の口語訳&品詞分解です。
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✿ 本文:太字、現代語訳:赤字 

大鏡『道隆と福足君』

粟田殿の御男君達ぞ三人おはせしが、
粟田殿〔藤原道兼〕のご子息たちは三人いらっしゃいましたが、

太郎君は福足君と申ししを、
ご長男は福足君と申したのですが、

をさなき人はさのみこそはと思へど、
幼い子供というものはみなそんなものだとは思いますけれども、

いとあさましう、まさなう、あしくぞおはせし。
(この方は)まことにあきれるほど、たちが悪く、やんちゃでいらっしゃいました。

東三条殿の御賀に、この君、
東三条殿〔藤原兼家〕の(六十歳の)お祝いに、この福足君に、

舞をせさせ奉らむとて、習はせ給ふほども、
舞を舞わせ申そうというので、(父道兼殿が)お習わせになっている間にも、

あやにくがり、すまひ給へど、よろづにをこつり、
だだをこね、いやがりなさるのですが、(人々は)いろいろと機嫌をとり、

祈りをさへして、教へ聞こえさするに、
祈祷までして、お教え申し上げたのですが、

その日になりて、いみじうしたて奉り給へるに、
当日になって、とても立派に舞の装束を整え申し上げなさったところ、

舞台の上に上り給ひて、ものの音調子吹き出づるほどに、
舞台の上にお上がりになって、楽器の音が調子を整えるために吹き合わせ始めるころに、

「わざはひかな、あれは舞はじ。」とて、
(福足君は)「いやだよ、ぼくは舞わない。」と言って、

びづら引き乱り、御装束はらはらと引き破り給ふに、
(きれいに結い上げた)を引きむしり、ご装束をびりびりと引き破りなさるので、

粟田殿、御色真青にならせ給ひて、
(父君の)粟田殿は、お顔の色が真っ青におなりになって、

あれかにもあらぬ御けしきなり。ありとある人、
茫然自失のご様子です。そこに居合わせた人は誰も、

「さ思ひつることよ。」と見給へど、
「どうせこんなことになると思っていたよ。」と御覧になっていますが、

すべきやうもなきに、御舅の中の関白殿の下りて、
どうすることもできないでいると、御伯父の中の関白殿〔藤原道隆〕が御殿を下りて、

舞台に上らせ給へば、言ひをこつらせ給ふべきか、
舞台にお上がりになりましたので、(私世継は)うまく言いなだめなさるのだろうか、

また、憎さにえ堪へず、追ひ下ろさせ給ふべきかと、
あるいはまた、憎くてたまらず、(舞台から)追い下ろしなさるのだろうかと、

かたがた見侍りしに、
どちらだろうと見ておりましたところ、

この君を御腰のほどに引きつけさせ給ひて、
(中の関白殿は)この君をお腰のあたりに引きつけなさって、

御手づからいみじう舞はせたりしこそ、
ご自身で手を取って(福足君を)立派にお舞わせになりましたのは、

楽もまさりおもしろく、かの君の御恥も隠れ、
楽の音もひときわ引き立ち風流になり、福足君の御恥も隠れ、

その日の興もことのほかにまさりたりけれ。
その日の興趣もことのほかにまさったことでした。

祖父殿もうれしとおぼしたりけり。父の大臣はさらなり、
御祖父殿〔兼家〕もうれしくお思いになっていました。父大臣〔道兼〕は言うまでもなく、

よその人だにこそ、すずろに感じ奉りけれ。かやうに、
他人でさえ、むやみに感嘆し申し上げたことでした。このように、

人のために情け情けしきところおはしましけるに、
(中の関白殿は)人に対して思いやり深いところがおありでしたのに、

など御末枯れさせ給ひにけむ。
どうしてご子孫が衰えてしまわれたのでしょう。

この君、人しもこそあれ、蛇れうじ給ひて、
この福足君は、相手もあろうに、蛇をいじめなさって、

そのたたりにより、頭にものはれて、失せ給ひにき。
そのたたりにより、頭に腫れ物ができて、亡くなってしまわれました。

※ 品詞分解はこちら
大鏡「道隆と福足君」

 

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定期テスト対策_古典_大鏡_口語訳&品詞分解

こんにちは。塾予備校部門枚方本校の福山です。
大鏡の口語訳&品詞分解です。
ぜひテスト対策にお役立てください。

大鏡『兼通と兼家の不和』

「堀河殿、果ては、
(世継が言う、)「堀河殿〔藤原兼通〕は(兼家公を憎んで)、しまいには、

我失せ給はむとては、関白をば、
ご自分がお亡くなりになろうという際には、関白職を、

御いとこの頼忠の大臣にぞ譲り給ひしこそ、
御従兄の〔藤原〕頼忠の左大臣にお譲りになった、そのことを、

世の人いみじきひがことと、そしり申ししか。」
世間の人はたいへんな筋違いなことだと、非難申し上げました。」

この向かひをる侍の言ふやう、
この対座して(聞いて)いる若侍が(意見を)次のように述べる。

「東三条殿の官など取り奉らせ給ひしほどのことは、
「東三条殿〔藤原兼家〕の官職を(兼通公が)お取り申し上げなさった当時の事情は、

ことわりとこそ承りしか。おのれが祖父親は、
道理の通った処置だと承りました。(なにしろ)私の祖父は、

かの殿の年ごろの者にて侍りしかば、
あの殿〔兼通〕の長年にわたる家来でありましたから、

こまかに承りしは。この殿たちの兄弟の御仲、
詳しく承ったのですよ。この兼通・兼家ご兄弟の御仲は、

年ごろの官位の劣りまさりのほどに、
年来の官位の昇進の競争の間に、

御仲あしくて過ぎさせ給ひし間に、堀河殿御病重くならせ給ひて、
御仲不和の状態でお過ごしになったうちに、堀河殿〔兼通〕はご病気が重くおなりになって、

今は限りにておはしまししほどに、東の方に、
もはや危篤でいらっしゃったときに、邸の東のほうに、

先追ふ音のすれば、御前に候ふ人たち、
先払いをする声がするので、(兼通公の)ご病床におつき申し上げていた人たちが、

『たれぞ。』など言ふほどに、
『誰のお越しか。』などと言ううちに、

『東三条の大将殿参らせ給ふ。』と人の申しければ、
『東三条の右大将殿〔兼家〕が参上なさいます。』と、誰かがご報告申し上げたので、

殿聞かせ給ひて、『年ごろ仲らひよからずして過ぎつるに、
殿〔兼通〕がお聞きになって、『長年兄弟不和のままで過ごしてきたが、

今は限りになりたると聞きて、とぶらひにおはするにこそは。』
私が危篤におちいっていると聞いて、きっと見舞いにいらっしゃるのだろう。』

とて、御前なる苦しきもの取りやり、
と思って、ご病床近くにある見苦しいものを取り片づけ、

大殿籠りたる所ひきつくろひなどして、
お休みになっている寝床をきちんと直したりして、

入れ奉らむとて、待ち給ふに、
(兼家公を)お招き入れ申し上げようとして、お待ちになっている。すると、

『早く過ぎて、内裏へ参らせ給ひぬ。』と人の申すに、
『すでに邸の前を通過して、内裏へご参上なさいました。』と誰かがご報告申し上げるので、

いとあさましく心憂くて、『御前に候ふ人々も、
(兼通公は)すっかりあきれ果て不愉快にお思いで、(兼通公は)『おそばにつきそっている人々も、

をこがましく思ふらむ。おはしたらば、
(兼家公を迎える準備をしたりして)みっともない(ことをしてしまった)と思っているだろう。(兼家が)見舞いにいらっしゃったら、

関白など譲ることなど申さむとこそ思ひつるに。
関白職などを譲ることなどを相談しようと思っていたのに(兼家めのこの冷酷さよ!)。

かかればこそ、年ごろ仲らひよからで過ぎつれ。
こんな性格の男だからこそ、年来不仲で通してきたのだ。

あさましく、やすからぬことなり。』とて、
(素通りするとは)心外で、穏やかではいられないことだ。』と言って、

限りのさまにて臥し給へる人の、
今にも息が絶えそうなありさまでご病床に臥していらっしゃったお方が、

『かき起こせ。』とのたまへば、人々あやしと思ふほどに、
『抱き起こせ。』とお命じになるので、おそばの人々も不審に思っているうちに、

『車に装束せよ。御前もよほせ。』と仰せらるれば、
(兼通公は)『車に支度をせよ。お先払いの者どもをそろえよ。』とおっしゃるので、

もののつかせ給へるか、現心もなくて仰せらるるかと、
(人々は)物の怪がおとりつきになったか、正気もなくて(うわごとでも)仰せになるのかと、

あやしく見奉るほどに、御冠召し寄せて、
けげんに思って拝見しているうちに、(兼通公は)御冠をお召し寄せになって、

装束などせさせ給ひて、内裏へ参らせ給ひて、
装束などをお召しになって、(牛車で)宮中へ参内なさって、

陣の内は君達にかかりて、
内裏の門の警護の詰め所から内はご子息たちの肩に寄りかかって、

滝口の陣の方より、御前へ参らせ給ひて、
(清涼殿の北東の)滝口の陣のほうから(殿上へお昇りになって)、帝の御前へ参上し(ようとし)て、

昆明池の障子のもとにさし出でさせ給へるに、
清涼殿の孫廂にある昆明池の障子の所にお姿をお現しになると、

昼の御座に、東三条の大将、
(清涼殿中央の)帝の昼の御座には、ちょうど東三条の大将〔兼家〕が、

御前に候ひ給ふほどなりけり。この大将殿は、
帝の御前でご拝謁なさっているところであった。この大将殿〔兼家〕は、

堀河殿すでに失せさせ給ひぬと聞かせ給ひて、
堀河殿〔兼通〕がすでにお亡くなりになったとお聞きになって、

内に関白のこと申さむと思ひ給ひて、
帝に次の関白職に私をとお願い申し上げようとお思いになって、

この殿の門を通りて、参りて申し奉るほどに、
この兼通公の邸の門前を素通りして、参内して奏上申し上げなさるところに、

堀河殿の、目をつづらかにさし出で給へるに、
堀河殿〔兼通〕が、目をかっと見開いてにゅっとお現れになったので、

帝も大将も、いとあさましくおぼしめす。
帝も大将〔兼家〕も、たいそう驚きあきれたこととお思いになる。

大将はうち見るままに、立ちて鬼の間の方におはしぬ。
大将は、(兼通公を)ちらりと見て、そのまま立って(清涼殿の西廂の南にある)鬼の間のほうへ行っておしまいになった。

関白殿、御前についゐ給ひて、御けしきいとあしくて、
関白殿〔兼通〕は、帝の御前にひざまずきなさって、ひどく不機嫌なご様子で、

『最後の除目行ひに参りて侍りつるなり。』とて、
『最後の官吏任免を行いに参上したのでございます。』と言って、

蔵人頭召して、関白には頼忠の大臣、東三条殿の大将を取りて、
蔵人頭をお呼びになって、関白には頼忠の左大臣を、(また)東三条殿〔兼家〕の大将職を取り上げて、

小一条の済時の中納言を大将になし聞こゆる宣旨下して、
(かわりに)小一条の〔藤原〕済時中納言を大将に任じ申すとの宣旨を下して、

東三条殿をば治部偕になし聞こえて、
東三条殿を(閑職の)治部偕に降格任命申し上げて、

出でさせ給ひて、ほどなく失せ給ひしぞかし。
ご退出なさって、まもなく(兼通公は)お亡くなりになったのですよ。

心意地にておはせし殿にて、さばかり限りにおはせしに、
意地っ張りのご気性でいらしたお方で、あれほど危篤の状態でいらっしゃったのに、

ねたさに内裏に参りて申させ給ひしほど、
憎しみのあまりに参内して(除目のことを)奏請なさった、あのなさりようは、

こと人すべうもなかりしことぞかし。
他の人にはとてもできないことでしたよ。

されば、東三条殿、官取り給ふことも、
こういういきさつですから、東三条殿の、官職をお取り上げになる(兼通公の)なされようも、

ひたぶるに堀河殿の非常の御心にも侍らず。
一概に堀河殿〔兼通〕の異常なお心からでもありません。

ことのゆゑは、かくなり。『関白は次第のままに。』
ことの真相は、こういうことなのです。『関白は兄弟の順序どおりに。』

といふ御文、おぼしめしより、
というお墨付きのご文書を、お思いつきになり、

御妹の宮に申して取り給へるも、
御妹の皇后宮〔安子〕にお願い申し上げて書いてもらってご所持になっていたのも、

最後におぼすことどもして、失せ給へるほども、
また臨終のきわにご自分のご遂行になりたいことを果たして、お亡くなりになったところも、

思ひ侍るに、心強く、かしこくおはしましける殿なり。」
つらつら思いますに、(兼通公は)意志強固で、賢明でいらっしゃった方です。」(と若侍は兼通公を称賛するのであった)。

※ 品詞分解はこちら                                    →大鏡『兼通と兼家の不和』

 

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定期テスト対策_古典_大鏡_口語訳&品詞分解

こんにちは。塾予備校部門枚方本校の福山です。
大鏡の口語訳&品詞分解です。

大鏡」は平安時代後期に成立した歴史物語です。
大鏡では主に藤原道長の業績について書かれていますが、今回は別の人物についてのお話です。

ぜひテスト対策にお役立てください。

大鏡『時平と道真』

✿ 本文:太字、現代語訳:赤字 

あさましき悪事を申し行ひ給へりし罪により、
あきれるばかりの悪事を天皇に奏上しこれを実行なさった罪の報いで、

この大臣の御末はおはせぬなり。さるは、
この大臣〔藤原時平〕のご子孫は繁栄なさらないのです。そうはいうものの、

大和魂などは、いみじくおはしましたるものを。
(時平公は)政治的手腕などは、すぐれていらっしゃいましたのにねえ。

延喜の、世間の作法したためさせ給ひしかど、
延喜の帝〔醍醐天皇〕が、世の中の風儀を取り締まりなさいましたが、

過差をばえしづめさせ給はざりしに、この殿、
度を越したぜいたくを御抑制なさることができないでいらっしゃったとき、この殿〔時平〕が、

制を破りたる御装束の、ことのほかにめでたきをして、
禁制を破ったご装束で、とりわけ立派なのを身につけて、

内裏に参り給ひて、殿上に候はせ給ふを、帝、
内裏に参上なさって、清涼殿の殿上の間に伺候していらっしゃるのを、帝が、

小蔀より御覧じて、御けしきいとあしくならせ給ひて、
(昼の御座の)小蔀から御覧になって、ご機嫌がひどく悪くおなりになって、

職事を召して、「世間の過差の制きびしきころ、
蔵人をお呼びになって、「世間のぜいたくの禁制が厳しい昨今、

左大臣の、一の人といひながら、
左大臣が、臣下最高の身分というものの、

美麗ことのほかにて参れる、便なきことなり。
特別美麗な服装で参内するのは、不都合なことだ。

はやくまかり出づべきよし仰せよ。」と仰せられければ、
早々に退出せよという旨を申し伝えよ。」とお命じになりましたので、

承る職事は、いかなることにかと恐れ思ひけれど、
(勅命を)お伺いした蔵人は、「(こうお伝えしたら)いったいどんなことに(なるだろうか)。」と恐ろしく思ったが、

参りて、わななくわななく、しかしかと申しければ、
(時平公のところへ)参って、ふるえながら、かくかくしかじかと申したところ、

いみじく驚き、かしこまり承りて、
(時平公は)とてもびっくりして、恐縮して(天皇のお言葉を)承って、

御随身の御先参るも制し給ひて、
御随身がお先払いをし申し上げるのもご制止になって、

急ぎまかり出で給へば、御前どもあやしと思ひけり。
急いでご退出になったので、お先払いの者どもは不審に思ったのでした。

さて、本院の御門一月ばかり鎖させて、
そうして、(時平公は)本院のご門を一か月ほど閉じさせて(謹慎し、ご自身は)、

御簾の外にも出で給はず、人などの参るにも、
御簾の外へもお出ましにならず、人などがご訪問申し上げるのにも、

「勘当の重ければ。」とて、会はせ給はざりしにこそ、
「帝のご勘気が重いので。」と仰せになって、お会いになりませんでした(。こんな具合であった)ので、

世の過差は平らぎたりしか。うちうちによく承りしかば、
世の中のぜいたくの風潮は根絶しました。内々に(真相を)よく承りましたところ、

さてばかりぞしづまらむとて、
そういうふうにしてこそぜいたくもおさまるだろうというので、

帝と御心合はせさせ給へりけるとぞ。
帝と(時平公とが)お心をお合わせになったということです。

もののをかしさをぞ、え念ぜさせ給はざりける。
(時平公は)何かでおかしがると、それを我慢おできになりませんでした。

笑ひたたせ給ひぬれば、すこぶることも乱れけるとか。
いったんお笑い出しになってしまうと、少しばかり物事も乱れたとかいうことです。

北野と世をまつりごたせ給ふ間、
北野〔菅原道真〕と一緒に政治をお執りになったころ、

非道なることを仰せられければ、
(時平公が)道理に合わないことを仰せになったので、

さすがにやむごとなくて、
(道真公は)何といっても(相手が)尊い(身分の時平公な)ので、

「せちにし給ふことを、いかがは。」とおぼして、
「強引になさることを、どうして(お止めできようか)。」とお思いになって、

「この大臣のし給ふことなれば、不便なりと見れど、
「この大臣〔時平〕のなさることだから、不都合だと思うが、

いかがすべからむ。」と嘆き給ひけるを、
どうしたらよかろうか、いや、どうにもしようがない。」と嘆いていらっしゃったところが、

なにがしの史が、「ことにも侍らず。
なんとかいう名の太政官の書記が、「なんでもないことです。

おのれ、かまへて、かの御ことをとどめ侍らむ。」
私めが、うまく工夫して、時平公のなさることを止めましょう。」

と申しければ、「いとあるまじきこと。いかにして。」
と申したので、(道真公は)「全くありえないことだ。どうやって(お止めしようとするのか)。」

などのたまはせけるを、「ただ御覧ぜよ。」とて、
などと仰せになったが、(その男は)「ただ御覧になっていてください。」と言って、

座につきてこときびしく定めののしり給ふに、
(時平公が)政務を執る陣の座に着いて厳しく議案を大声で決裁しておられるときに、

この史、文刺に文挟みて、いらなくふるまひて、
この書記官は、文挟みに書類を挟んで、わざとおおげさに振る舞って、

この大臣に奉るとて、いと高やかに鳴らして侍りけるに、
この大臣〔時平〕に差し上げようとして、(まさにそのとき)たいへん高々とおならをいたしましたところ、

大臣、文もえ取らず、手わななきて、
大臣〔時平〕は、その文書を手に取ることもできず、手をふるわせて(笑いをこらえ)、

やがて笑ひて、「今日は術なし。右大臣に任せ申す。」
そのまま笑い出して、「今日はどうにもしかたがない。右大臣〔道真〕にお任せ申す。」

とだに言ひやり給はざりければ、それにこそ、
とその言葉さえも満足に言い終えなさらなかったので、そのおかげで、

菅原の大臣、御心のままにまつりごち給ひけれ。
菅原の大臣〔道真〕が、お思いどおりに政務をご決裁になりました。

また、北野の、神にならせ給ひて、
また、北野〔道真〕が、(死後)雷神におなりになって、

いと恐ろしく雷鳴りひらめき、
とても恐ろしく雷鳴して光りきらめき、

清涼殿に落ちかかりぬと見えけるが、
清涼殿に今にも落ちかかってしまうと見えましたが、

本院の大臣、太刀を抜きさけて、
(そのとき)本院の大臣〔時平〕が、太刀を抜き放って、

「生きてもわが次にこそものし給ひしか。今日、
「存命中も(貴殿は)私の次位におられた。今日、

神となり給へりとも、この世には、我にところ置き給ふべし。
たとえ雷神とおなりになったといっても、この世においては、当然私にご遠慮なさるべきだ。

いかでか、さらではあるべきぞ。」と
どうして、そうならずにすまされようか。」と、

にらみやりてのたまひける。
雷神のほうをにらんで仰せになったのでしたよ。

一度はしづまらせ給へりけりとぞ、世の人申し侍りし。
(それで北野の雷神も)一度はお静まりになったそうだと、世の人々は申しました。

されど、それは、かの大臣のいみじうおはするにはあらず、
しかし、ひるんだと思えたのは、(実は)あの大臣〔時平〕がお偉いからではなく、

王威の限りなくおはしますによりて、
天皇の威光が限りなくあらせられるのによって、

理非を示させ給へるなり。
(道真公が、朝廷におけるきまりや官位の秩序について)道理と道理に反することとのけじめをお示しになったのです。

※ 品詞分解はこちら                                    →大鏡『時平と道真』

 

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定期テスト対策_古典_おらが春_口語訳&品詞分解

こんにちは。塾予備校部門枚方本校の福山です。
おらが春の口語訳&品詞分解です。
江戸時代後期小林一茶の俳句俳文集です。一茶の没後25年に刊行されています。

ぜひテスト対策にお役立てください。

✿ 本文:太字、現代語訳:赤字 

おらが春「添へ乳」

去年の夏、竹植うる日のころ、
去年〔一八一八年〕の夏、竹を植える日〔五月十三日〕のころ、

憂き節しげきうき世に生まれたる娘、
つらいことの多いこの世に生まれた娘は、

おろかにしてものにさとかれとて、
(生まれたときは)おろかであっても(成長して)賢くあってほしいと思って、

名をさとと呼ぶ。今年誕生日祝ふころほひより、
名をさととつける。今年誕生日を祝うころから、

てうちてうちあはは、おつむてんてん、かぶりかぶり振りながら、
ちょうちちょうちあわわ、おつむてんてん、かぶりかぶり振りながら、

同じ子どもの風車といふものを持てるを、
同じ年格好の子供たちが風車というものを持っているのを、

しきりに欲しがりてむづかれば、とみに取らせけるを、
しきりに欲しがってむずかるので、すぐに与えたところ、

やがてむしやむしやしやぶつて捨て、
すぐにむしゃむしゃとしゃぶって捨て、

つゆほどの執念なく、ただちにほかのものに心移りて、
少しばかりの未練もなく、すぐに他のものに心が移って、

そこらにある茶碗を打ち破りつつ、
そこらにある茶碗を打ち壊したりしては、

それもただちに飽きて、障子の薄紙をめりめりむしるに、
それもすぐに飽きてしまって、障子の薄紙をめりめりとむしるので、

「よくした、よくした。」とほむれば、まことと思ひ、
「よくやった、よくやった。」とほめると、本当に(ほめられた)と思って、

きやらきやらと笑ひて、ひたむしりにむしりぬ。
きゃっきゃと笑って、めちゃめちゃにむしってしまう。

心のうち一点の塵もなく、名月のきらきらしく清く見ゆれば、
心の内は一点の汚れもなく、名月のようにきらきらと清らかに見えるので、

あとなきわざをぎ見るやうに、なかなか心の皺を伸ばしぬ。
比類ない演技を見るようで、たいそう気分が晴れてしまう。

また、人の来たりて、「わんわんはどこに。」と言へば犬に指さし、
また、人が来て、「わんわんはどこに。」と言うと犬を指さし、

「かあかあは。」と問へば烏に指さすさま、
「かあかあは(どこに)。」と尋ねると烏を指さす様子は、

口もとより爪先まで、愛敬こぼれて愛らしく、
口もとから爪先まで、愛嬌があふれてかわいらしく、

言はば春の初草に胡蝶の戯るるよりもやさしくなんおぼえ侍る。
たとえて言うなら春の若草に蝶が飛び回るよりも優美に思われます。

このをさな、仏の守りし給ひけん、逮夜の夕暮れに、
この幼子は、仏がお守りなさったのだろうか、死者の命日の前夜の夕暮れに、

持仏堂に欸燭照らして鈴打ち鳴らせば、
仏間にろうそくをともして鈴(りん)を鳴らすと、

どこにゐてもいそがはしく這ひ寄りて、
どこにいても急いで這い寄って来て、

早蕨の小さき手を合はせて「なんむなんむ。」と唱ふ声、
芽を出したばかりの蕨のような小さい手を合わせて、「なんむなんむ。」と唱える声が、

しをらしく、ゆかしく、なつかしく、殊勝なり。
かわいらしく、慕わしく、魅力的で、けなげに感じられる。

それにつけても、おのれ頭にはいくらの霜をいただき、
それにつけても、自分は頭にはたくさんの霜を載せ(たように白髪が生え)、

額にはしわしわ波の寄せ来る齢にて、
額にはしわしわと皺の波が寄せて来る(ように皺が増えた)年齢で、

弥陀頼むすべも知らで、うかうか月日を費やすこそ、
阿弥陀如来にすがる方法も知らないで、うかうかと年月をむだに過ごすのは、

二つ子の手前もはづかしけれと思ふも、
数え年二歳の子の手前も恥ずかしいことだと思うのだが、

その座を退けば、はや地獄の種をまきて、
仏前の席を離れると、早くも地獄に落ちる原因を作って、

膝にむらがる蠅を憎み、膳をめぐる蚊をそしりつつ、
膝にむらがる蠅を憎み、膳の周りを飛び回る蚊をののしって(殺して)は、

あまつさへ仏の戒めし酒を飲む。
そればかりか仏が禁じた酒を飲む。

折から門に月さして、いと涼しく、
折しも門に月光が差し込んで、たいへん涼しく、

外に童べの踊りの声のすれば、ただちに小椀投げ捨てて、
外で子供たちの盆踊りの声がすると、すぐに小椀を投げ捨て、

片ゐざりにゐざり出て、
(うまく歩けないので、)膝をついたり這ったりして(外の見えるほうに)出て、

声を上げ手まねして、うれしげなるを見るにつけつつ、
声を上げて(踊りの)手まねをして、うれしそうにしているのを見るにつけては、

いつしかかれをも振り分け髪の丈になして、
早くこの子も振り分け髪の(できる)背丈に成長させて、

踊らせて見たらんには、二十五菩薩の管弦よりも、
踊らせてみたとしたら、あの(極楽往生する人のもとに、阿弥陀如来に率いられた)二十五の菩薩の(来迎するときに奏でるという)音楽よりも、

はるかまさりて興あるわざならんと、
はるかにすぐれて興趣があることだろうと思って、

わが身に積もる老いを忘れて、憂さをなん晴らしける。
わが身に積もる老いを忘れて、憂さを晴らしたのだった。

かく日すがら、雄鹿の角のつかの間も、
このように一日中、(夏の雄鹿の角が、生え替わったばかりで短いように)ほんのわずかの(短い)間も、

手足を動かさずといふことなくて、
手足を動かさないということがなくて、

遊び疲れるものから、朝は日のたけるまで眠る。
遊び疲れるものだから、朝は日が高くなるまで眠っている。

そのうちばかり母は正月と思ひ、飯炊き、
その間だけ母は正月(のようにほっと息抜きができて気楽だ)と思い、飯を炊き、

そこら掃きかたづけて、団扇ひらひら汗を冷まして、
そのあたりを掃き片付けて、団扇をひらひら(あおいで)汗をしずめていると、

閨に泣き声のするを目の覚むる合図と定め、
寝室で泣き声がするのを(娘の)目が覚める合図と決めて、

手かしこく抱き起こして、裏の畑に尿やりて、
すばやく抱き起こして、裏の畑でおしっこをさせて、

乳房あてがへば、すはすは吸ひながら、
乳房を口に当ててやると、ごくんごくんと吸いながら、

胸板のあたりを打ちたたきて、にこにこ笑ひ顔を作るに、
(母の)胸板あたりをたたいて、にこにこと笑い顔を作るので、

母は長々胎内の苦しびも、日々襁褓の汚らしきも、
母は長い間の胎内の(この子を宿していた)苦しみも、毎日のおむつの(世話をする)汚らしいことも、

ほとほと忘れて、衣の裏の玉を得たるやうに、
すっかり忘れて、(衣の裏に縫い込まれていた)この上ない宝を得たように、

なでさすりて、ひとしほ喜ぶありさまなりけらし。
なでさすって、いっそう喜ぶ様子であるようだよ。

蚤のあと 数へながらに 添乳かな
蚤に食われた跡を数えながら、横になって乳を吸わせている
(、なんとも幸せそうでなごやかな母と娘だ)よ。

※ 品詞分解はこちら
おらが春「添へ乳」

 

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定期テスト対策_古典_癇癖談_口語訳&品詞分解

こんにちは。塾予備校部門枚方本校の福山です。
癇癖談の口語訳&品詞分解です。
癇癖談(かんぺきだん)は近世後期上田秋成によって書かれた戯文小説です。

ぜひテスト対策にお役立てください。

✿ 本文:太字、現代語訳:赤字 

癇癖談「当代の流行」

世にはやるといふことどもを見聞くに、
世間で流行するというものを見たり聞いたりするにつけても、

道々しきにも、芸能にも、よきことのみ行はるるにはあらで、
学問の方面でも、芸能の方面でも、立派な本物だけがはやるのではなくて、

おほかたがなしやすく、学びやすきことの、まづはやるなりけり。
世間一般がやりやすく、学びやすいことが、まず流行するのであるよ。

さりとて、また、あしきことのみ行はるると言ふにはあらず。
かといって、また、悪いことだけがはやると言うのではない。

人のうたてがること、はたよしと言ふにもあらず。
人のいやがることを、またよいと言うわけでもない。

至りてのわざは、まねやすからず、
最高の極意は、まねすることが難しく、

行ひがたしとは、昔々の人の言ひしぞかし。
実践することも難しいとは、ずっと昔の人が言ったのだねえ。

儒者といへども、昔ありしは、ひたすら実体にて、
学者といっても、昔いた者は、ただただ誠実で正直であって、

頼もしかりしを、今はさる師はよにまれにて、
頼りになったが、今はそのような学者は本当にまれであって、

詩文はなばなしく作りもて、手など風流に書きすさび、
詩文を華美に作り出して、文字なども風流めいて書き興じ、

酒をかしく酌み遊ぶもとへは、人あまた集まれり。
酒を愉快に酌み交わして遊ぶ人の所には、門人が大勢集まって来る。

仏の道にも、よにありがたき人は、山に籠りて現れず、
仏道の方面でも、よにまれな(徳の高い)僧は、山に籠って人前に現れず、

亭主ぶりよく、疎きをとぶらふ言葉にもうれしと思はせ、
客扱いがうまく、参詣がとだえがちな人に様子を尋ねる言葉にも(相手に)うれしいと思わせ、

もの清く調じて食はせ、今の世の茶の湯もて、
食べ物をこぎれいに調理して食べさせ、当世(の流行)の茶の湯を開いて、

呼び呼ばれ、よろづに愛敬づきたらんには、
呼んだり呼ばれたりして、万事につけ愛想のよいような人の所には、

まづ詣づるなり。翁・姥らとても、
(信者たちも)まず参詣するのである。老翁や老婆たちといっても、

さる方にひとたび参りては、若き人の遊所に通ひそめしに等しく、
そのような所に一度参詣すると、若者が色里に通い初めたのと同じように、

あはれ一日も怠らじと思ひしめるぞかし。
ああなんとかして一日も怠ることがないように(通い続けよう)と思いこむのだねえ。

また、男・女の髪の風、廱の飾り、衣の色合ひこそ、
また、男・女の髪形や、廱飾り、衣服の色合いは、

昨日の鶸茶は今日の栗皮色、都のは吾妻に移り、
昨日までの鶸茶(の流行)が今日の栗皮色(になり)、京都の流行は江戸に移り、

吾妻のは浪華に移し来るも、あら忙しの世にもあるかな。
江戸の流行は大坂に移って来るのも、ああ忙しい世の中であるなあ。

人の心ばかり頼まれぬものはあらじかし。
人の心ほどあてにならないものはあるまいよ。

白茶、浅葱、鼠などの、眠り目なるをさへ、
白茶、浅葱、鼠などの、眠そうな(くすんで目立たない)色合いをさえ、

はなやかなりと見し世も目の当たりなりしを、いつしか、
華やかだと見ていた世の中もつい最近であったのに、いつの間にやら、

萌黄、瑠璃紺、紅かけ花色の、深きにうつろひゆけり。
萌黄、瑠璃紺、紅かけ花色の、深い色調に移り変わっていった。

古き翁たちの、ひたすら昔を忍ぶげにて、
昔気質の老翁たちが、一途に昔を懐かしむ様子で、

羽織の丈、小袖の仕立て、紋の大きさ、
羽織の丈や小袖の仕立て方、紋の大きさを、

いささかも今に移らじとするも、それはた、
少しも当世ふうに移るまいとするのも、それもやはり、

おのが若き昔の浮きたるはやりごととは思ひ知らぬぞかし。
自分が若かった昔の浮ついていた流行(に固執している)とは悟っていないのだねえ。

また、新曲などとて、糸に合はするも、
また、新しい曲などといって、三味線に合わせる歌も、

よき人の心尽くしせしは、「あな屈したりや。」
心得のある人が苦心して作った曲は、「ああ気がめいってしまうよ。」

など言ひて、人興ぜず、唱歌続かず。
などと言って、人はおもしろがらないし、楽器に合わせて歌うことも続かない。

あまりなるまでざればみて、何の心もなきが、
あまりなまでにふざけて、何の深みもない曲のほうが、

遠き田舎の果て果てまで、歌ひはやせるなりけり。
遠い田舎の辺境まで、歌いはやすものなのだなあ。

何事にもあれ、しばしはやりもて騒ぐことの、
何事であっても、一時的に流行しもてはやすことで、

あさはかならぬはあらじものを。
浅はかでないことはないだろうになあ。

※ 品詞分解はこちら
癇癖談「当代の流行」

 

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