新学年実力試験

こんにちは。茨木本校2230です。
昨日は「KEC能力診断テスト(志望校判定模試)」。
新学年で意気込み受験,いかがでしたか。
 

成績結果の返却の前に,まずは解説チェック。
自分の答はどこまであっていますか。
解説を読んでみて納得できますか。
「?」をどこまで「!」にできますか。
各学年相応に「ここまでできて欲しい」
というメッセージを汲みとってください。

KECの授業ってどんなん?公開講座って?な方々へ。
上記の志望校判定模試(無料)を受けてみましょう。
「今」を知り,分析し,「これから」を相談しましょう。
全ての始まり,それはここからです。

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、大晦日と元旦の合宿も無事終わりました。両日とも小林も参加しました。みんな頑張っていましたよ。小林に質問に来た生徒さんたちもきちんと理解して、いい顔をして帰ってくれました。皆、あと少し!ガンバレ!!

さて、今日は教材作成にいそしむ予定でしたが……。
とりあえず普段通り出勤。教材作成をして昼食。ご飯を食べたらきちんと洗い物。
本来ならここからまた、教材作成に戻れるのですが……。

2018年の小林は一味違うぜ‼

シンクの水の流れが悪い。アレっと思っていたら排水管からから水が⁉辺り一帯水浸し。
急きょ補修作業に入りドダバタドタバタ。パテを買いにコーナンへ。
この作業で数時間を取られました。
「俺、何しに今日出勤しているんだ」(。´・ω・)?

今日は定休日なのがせめてもの救いです。生徒たちがいる時だったらもう大変でしたね。

閑話休題
せっかくですので連載の最終稿もあげちゃいますw
このシリーズも今回で終わり。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

さて今まで読書についてさんざん書いてきましたが、現場に立っていると、自発的な読書経験のない生徒たちが大半です。(言い方を変えると、学校の国語の授業以外で文章を読んだことがない)
その子たちもちゃんと大学に受からせています。

最後にでお伝えしたいのは、

読書は読解の(あるいは国語の)基礎体力であって、受験に受かる国語力とイコールではない


ということです。

受験に受かるための国語力をつける術は、授業内外で惜しげもなく生徒たちに披露しています。
ここではそれ以前の話、読書以外で読解の(国語の)基礎体力をつける方法について話をしたいのです。

「読書せずに」なんて虫がよさそうですがいい方法があります。
例えばYou Tubeなども一方ですが、小林がお勧めしたいのは次です。

大人との会話

大人は当然子どもよりも語彙が豊富です。「この言葉は通じないかな」と思っても、どうぞ使ってみてください。そしてそのあと、それを優しく言い換えてあげてください。

身近な親や教師との会話を増やす。
実はこれが後々の国語力、ひいては人格の形成に大きな影響を与えます。

大人の豊富な語彙を使って様々に子どもに語ること。
ですが、子どもに語るためには、我々大人も読書をしなければいけません。

親と子の会話なら、親子関係をより深めることができるかもしれません。
教師と生徒の会話なら、教師-生徒の信頼関係がより醸成されるかもしれません。

大人との会話

最後に伝えておきたいことでした。

国語ができる子どもを育てるために⑦ 読解の(国語の)基礎体力その2

みなさん、こんにちは。大和田本校の小林です。
2中のテスト対策でこちらの更新がすっかりおざなりになりました。
申し訳ありません。
さて、長かった基礎体力2のまとめです。

人が「自分が直接体験したこと」からのみで知を蓄えるとなると、
それはそれは乏しいものになってしまいます。

そこはそれ。先人が学んだものをいただけばいい。
悲しいかな、私たちに与えられた有限の時をすべて使っても、
読み切れないほどの古典的名著や現代の優れた書物があります。
読まない手はないと思います。

乱読のすすめをしたのは上記のようなことからです。
つまり、多ジャンルを乱読することで様々な形の知に触れることができます。
いうなれば(受験的)背景知識が手に入ります。

けれども、受験に限定なんてしたらつまらない、もったいない。
多ジャンルの乱読を積み重ねていくと、やがて全方位的な知識となります。

ある分野の知Aと、別の分野の知Bが結びついて、新たな知Cを得ることができる。
実はこのことは2020年度以降の新入試制度で求められることでもあります。
(勉強会で分かりました。よかった、出席して。)

一例をあげてみたいと思います。
例えば小林は生徒の合格を祈っています。
この「祈る」という言葉は、いい意味で使われていますね。
一方(そんなことはありませんが)「あいつなんか落ちてしまえばいいのに」と「祈る」とします。
これは悪い意味での「祈り」で、通常それを「呪う」と我々は言いますね。

では、「祈る」と「呪う」は反対かと思うと、実は語源が同一で
ノル」(超越的存在に対して言葉を発する)と言われています。

「祈る」「呪う」という言葉だけを見ていたらそれは(偏った)宗教学的理解にとどまります(知A)。
ところがここに言語学の要素を持ち込み、語源が同一であると知る(知B) 。
すると今までよりも言葉に気をつけるようになる(かもしれない、ちょっと強引かな)(知C)。

ある分野の知Aと別の分野の知Bが結びついて、新たな知Cを得る
受験的にはテーゼアンチテーゼからジンテーゼを見出すと説明してもいいかもしれません。

これを続けていくことができる人、様々な知を紡いでいける人を、我々は教養人と読んでいます。
小林は教え子に教養主義を掲げたい。そして自身が教養人になりたいと思っています。

「教養とはなんぞや。教養主義とは何ぞや。」

その辺りは例えば竹内洋先生の『教養主義の没落』をご一読ください。

受験生の自律テク

こんばんは。茨木本校2230です。
「誘惑に負けずに,勉強に打ち込むには?」
受験生にとって悩ましい質問。
高い志とストイックな精神力をもって取り組め!
と言いたいところですが,
周りからの誘惑も様々あって。
最近は携帯・スマホですね。

アシスタントOくんはこの時期に
「携帯のプランを変更した」そうです。

茨木本校の受験生にはこんな人も。

「持って帰らない作戦」を決行。
個人ファイルに入れたまんまにするんですね。
でも,紛失しないようご注意ください。

他にも,こうやってますよってのがありましたら
2230までお知らせください。

国語ができる子どもを育てるために⑥ 読解の(国語の)基礎体力その2

みなさん、こんにちは。大和田本校の小林です。
今日は中3生の能力診断テストがありました。
手ごたえを感じた生徒諸君!その調子で頑張りましょう。
失敗したなという生徒諸君!猛反省&猛復習です。みんなガンバレ

さて、前回の続きです。洋の東西を隔てた自然観の相違について。

創世記第1章26節から31節です。

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。

男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。
産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。
神は言われた。
「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」
そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。
夕べがあり、朝があった。第六の日である。

つまり、キリスト教では自然を支配の対象と見ます

一方、日本では八百万の神々がいます。
山には山の神様がいて、海には海の神様がいます。
トイレにだって神様がいます(笑)。
それら神々に比べたら、人間なんてちっぽけな存在です。

だから自然を支配するなんて考えも及ばない
そこで日本人は自然を敬い、一体化しようとします。
古文を読んでいて出家者が山中に草庵を結ぶことがありますが、
これはまさに自然との一体化です。
すると自然を支配というキリスト教とは逆ベクトルが発生する。

ベクトルが逆なのでこれらが本文中で対比されます。

が、ここからが重要です。

日本の自然観では、自然とは偉大なものなので
ちっぽけな人間に保護されるような存在でもない
のです。

すると次の図式が成り立ちます。
西洋=自然を支配→人間が住みよいように自然を変える→自然破壊
日本=自然を敬う→人間は自然の恵みに感謝する→自然を保護しない→自然破壊

ベクトルが逆なのに結論は同じなのです。
受験では上記のような論調を基軸にした文章が出題されることが多い。
以上のことを知っているのと知らないのでは、本文の理解度が随分と違いますよね。

次回、基礎体力編2のまとめです。
基礎体力編2で一番伝えたいところです。
やっぱり次回も必読ですね(笑)。

国語ができる子どもを育てるために⑤ 読解の(国語の)基礎体力その2

みなさん、こんにちは。大和田本校の小林です。
さて、今回は読解の(国語の)基礎体力のお話後半です。

前々回のブログでは基礎体力とは語彙力だと言いました。
もう1つの基礎体力とはズバリ

背景知識

です。
話を分かりやすくするために、ここでは評論文に絞ってお話ししたいと思います。

「解答の根拠は本文中にある。
国語は論理的に書かれており、論理を追うことで筆者の主張を見つけ解答していく。」

巷の国語の参考書を見るとたいていこのようなことが書いてあります。
小林も全く異論はありません。

ただし……、です。やっぱり背景知識を持っておいて損はありません。

例えば、先日小林に質問に来た高3生の場合。
国語の問題集を解いていて、どうにも腑に落ちない……。

見てみると記述問題に関しての質問で、課題文は次のようなものでした。
「欧米のキリスト教文化圏では、聖書(創世記)に基づいて自然を支配し環境を……云々」。というものでした。
出古された感のあるほどよく出題されるパターンです。

この時、キリスト教について、あるいはそれの対比に持ってこられやすい、アジア特に日本それぞれの自然観について、背景知識を持っていれば、「ああ、あのことか」と途端に読みやすくなります。

もちろん、自分の背景知識がバイアスとなって課題文を曲解してしまっては元も子もありません。ですが、知っているテーマが出題されたら、知らない受験生より読みやすいことは確かですね。

彼女には背景知識としてキリスト教(唯一の創造新)における自然観日本の自然観(八百万の神々)を伝え、本文の対比を紐解いて説明しました。

よく出題されるので、せっかくですから次回その一部ご紹介をします。
(次回は必読ですね 笑)。
ただし、これらはあくまでも受験業界での言説です。
「真のキリスト教理解から外れている」とか、
「神道を理解していない」と言った
宗教的論争からは距離を置きます。

今日は朝から勉強会がありました。

2020年度の大学入試制度の改革についての大きな勉強会でした。もちろん小林も個人的に調べて勉強はしていますが、勉強会をしてもらえると随分といろんなことが見えてきます。

さて、今回は連載をいったんお休みして、今日の勉強会の報告を「国語の観点」からごく簡単にお伝えしたいと思います。

結論から言うとやはり国語はさらに重要度を上げるということです。

大学入学共通テストの記述例が出されて随分と経ちましたが、この記述問題に関して、対策の打ちようは比較的容易です(企業秘密❤)。

今回の勉強会で小林が「なるほどぉ」と思ったのは次のことです。
①高校受験、大学受験全体が記述の方へシフトしている。
②記述の内容が従来型でなくなってきている(体験課題探求型とでも申しましょうか)
③目的意識を持った受験生になる必要がある。

どれもふんわりと思っていたことでしたが、具体例をたくさん突きつけられると「ふんわり」から「確証を得られるもの」へと変わりました。

例えば東大の推薦入試の問題をご覧いただくと、「なるほど今までとは違うな」と思われると思います。

この流れがすべての大学に波及していくワケですが、そういった事例を様々な高校入試、大学入試の問題を使って勉強会をしました。

こういった問題に対応していくには、本当の国語力を身に着ける必要があります。そのうえで知識を蓄え自らの体験に引き付け、かつ表現していく必要があります。

そのために乱読が非常に有効ということをお伝えしたいと思います。今後、一問一答的な知識問題(正解がある問題)は数を減らします。というか、それを知っていることを前提に問題が出題されます(正解のない問題)。つまり、知識だけでは太刀打ちできなくなります。必要なのは知識と知です。知とはいわば知識の紡ぎ方です。これを養うには読書量が物を言います。

「ウチの子はまだ小学生だから、大学受験なんてまだまだ先」とお考えの親御さん。

チャンスです。

「情報が未確定だからどう動いたらいいか…」とお考えの親御さん。

チャンスです。

教育の世界が本当に大きく変わります。確かに、不透明なことも多いのが現状です。ですが、「曖昧模糊としているから何もできない(しない)」ではダメです。やるべきことは明白なんです。

必要なことは、まだ小学生の内に上滑りしない本当の学力を身に着けること。

ビックリするくらい当たり前のことですね。
この当たり前が評価される時代がようやく来ようとしています。
このブログをご覧の親御さんには、今回の改革をぜひともチャンスにしていただきたいと思います。
そのために、KECが全力でお力添えをしたいと思います。

追記
「本当の国語力とは何か」、「本当の国語力があるのなら偽物の国語力があるのか」となりそうですが、これはまた機を見てシリーズ化……できたらいいな。

国語ができる子どもを育てるために④

みなさん、こんにちは。大和田本校の小林です。
前回更新から時間が空いてしまいました。申し訳ありません。
毎週日曜日に更新をと思っていたのですが、今来月、2ヶ月に渡り日曜日にスペシャル授業をすることになり、ブログの方がおざなりになってしまいました(汗)。

さて、続きです。
前回は「読解の(あるいは国語の)2つの基礎体力」というところまで話が進んでおりました。
今回は読解の(国語の)基礎体力のお話の一つ目です。

小中高校生を問わず、国語が苦手な生徒さんは「この文章、何が書いてあるのか分からへん」といいます。

課題文は作者が考え、選び抜いた「言葉」が紡がれて書かれています。そこから筆者の主張を読み取っていきます。

国語の苦手な子たちは、ここで躓きます。

「主張を読み取れ言われても、そんなん以前に分からん言葉がいっぱいある……

今の子どもたちは圧倒的語彙不足に陥っています。
読書の(あるいは国語の)基礎体力の1つはこの語彙を指します。

活字に触れれば触れるほど、知らない言葉に出会います。
昭和生まれの小林には羨ましい限りですが、今の子どもたちはスマートフォンなりタブレットなりですぐにたいていのことは調べられます(メディアリテラシーについてはここでは措いておきます)。

本を読み、知らない言葉に出会ったらすぐ調べる。
紙辞書を使ってほしいと昭和人の小林は思いますが、それはそれ。
この際そこは大目に見ます。

そうして一つ一つ言葉に出会っていくこと。
この積み重ねが将来の国語力となっていきます。

この語彙の学習ですが一つ、あまり気づかれていない大切なポイントがあります。
それは、その語彙を使って簡単な短文を作ることができるかです。

一つ例を出してみます。
暇(いとま)」を辞書で引くと下記のような意味が出てきます。
1 用事のない時間。ひま。「休む―もない」
2 一時的に休むこと。休暇。「三日ほどのお―を乞う」
3 職務を離れること。辞職。また、解雇。ひま。「雇い主に―を願い出る」
4 離縁。離婚。「妻に―を出す」
5 (多く「おいとまする」の形で用いる)別れて去ること。また、そのあいさつ。辞去。「―を告げる」「そろそろお―しよう」
6 喪に服すること。またそのために出仕しない期間。
「御―になり給ひぬれば、藤壺も夜さり罷 (まか) で給ひ」〈宇津保・国譲上〉
7 ある物事をするのに空けることのできる時間。
「仮名文見給ふるは目の―いりて」〈源・若菜上〉
8 すきま。ひま。
「谷風の吹き上げにたてる玉柳枝の―も見えぬ春かな」〈夫木・三〉

こんなものを覚えようとしたら大変なことになります。
また、伝統的な学習方法では意味をノートに写すということになるでしょうが、それは時間の無駄というものです。

そうではなくて、この「暇」という語を使って簡単な短文を作れるようにする

「ちょっとそれをしているはないなぁ」

意外かもしれませんが、この程度で構いません。
逆にこれ以上高度なものを造ろうとすると、必ず挫折します。
小林は指導する際、言葉の意味ももちろん伝えますが、この簡単な短文を個々人に作らせます。

「忙しくて宿題をするいとまがなかった」(ウソつけ!その暇はあるワイ(笑)!)
「あっ、先生俺も俺も(笑)‼」(せやからウソつけ(笑)‼)
「先生、『おいとまする』はOK?」(おお、それめっちゃええやん♪!)

要は意味を覚えていることが大事なのではなく、使用語彙にまでもっていくことが大切です
仕えない語彙を身に着けていても役に立ちません。日常に使える語彙にすることが大切です。

ほかにも使用語彙を増やす方法があるのですが、それはまた後日に。

とりあえず今日の所は「使える語彙を増やす」。
これが読解の(国語の)基礎体力の重要な要素というところで話を終えたいと思います。

次回、もう一つの基礎体力とは。

国語ができる子どもを育てるために③ どんな本を読ませるべきか。

みなさん、こんにちは。大和田本校の小林です。
さて、前回の続きです。

「子どもにどんな本を読ませたらいいですか。」

こう聞かれる親御さんも多いですね。
小林の答えはいたってシンプルです。

答えは「何でもいい」です。

こう答えると親御さんたちは肩透かしにあったような反応をなされます。
きっと次のような、受験的解答を期待されているのだと思います。

「受験頻出作家の内田樹鷲田清一外山滋比古池内了といった方々の、特に新書を読めば、受験に問われる文章レベルに慣れることができ、かつ読んだことがある文章に出会う可能性が上がります。例えば内田樹なら『日本辺境論』、鷲田清一なら『わかりやすいはわかりにくい?』、外山滋比古なら『知的創造のヒント』、池内了なら『疑似科学入門』などは受験に頻出です。」(仮想的な発話ということで敬称を略しています)

こう発言すれば、「じゃあ、それらを読ませよう」となるのだと思います。
もちろん、上記はどれも読むに値する、滋味深い書籍です。読めば確実に教養が身に付きます。
ですが、「受験に出るから読む」「受験レベルだから読む」となってしまうと、読書の本質はそこではないんですね。

読みたいものは何でも手当たり次第に読めばいい。いわば乱読の勧めです。
そのためには「積読(ツンドク)」も厭わない(この「積読」が京大の英作文に出題されましたね)。読みたい本がアレコレとあって、あれもこれもと買っていったらいつの間にか読み切れていないものが「積読」になった。
もちろん程度の問題はありますが、小林はコレを悪いことだとは思いません。なぜなら乱読の為の「積読」なのですから。

ここでのポイントは乱読です。
なるべく一つのジャンルに絞らない。様々なジャンルの本を手当たり次第に読むのがいいと思います。

いろんな本を読むことは、読解の(あるいは国語の)2つの基礎体力を作ってくれます。この2つの基礎体力というのがポイントです。

2つの基礎体力?
次回はこの基礎体力についてお話ししたいと思います。

国語ができる子どもを育てるために② 大人の覚悟

みなさん、こんにちは。大和田本校の小林です。
さて、昨日の続きです。
保護者様と面談させていただいて、よくいただく質問の一つに、読書に関するものがあります。

先生、やっぱり本を読ませないとダメですか。
先生、うちの子全く本、読まへんのです。
うちの子、全然本を読まんから国語アカンのですわ。

本を読むのか読まないのか

この二者択一なら、当然読むほうがいい。それは間違いありません。
ただし、ここで親の(あるいは大人の)覚悟が必要となります。

「本を読みなさい」と言っている当の親(大人)自身が本を読んでいるか。

自分が読んでいないのに子どもに「読め」というのは虫が良すぎます。

もしこのブログをお読みいただいている方が、小さいお子さんをお持ちなら、ぜひお子さんと一緒に読書をしてあげてください。

「パパもママもいつもご本を読んでるけど、ご本を読むのは楽しいの?」
「楽しいよ。じゃあいっしょにご本を読みましょうか。」

「大人は忙しいからそんな時間はない」というのは言い訳です。
子どもだって学校にクラブに塾に、それぞれの宿題に、その他習い事に……、と忙しいのです。
大人が言い訳をするのなら、子どもの言い訳も認めなければフェアじゃありません。

親が読書する姿を見せること。これが、子どもが読書をするきっかけとなります。

「偉そうなことを言いやがって。じゃあお前は読んでいるのか。

居丈高に言うつもりはないのですが、こう思われている保護者様もおられるでしょう(ごめんなさい)。結論を言うと読んでます。

小林は往復の通勤時間を含めると半日以上を仕事に取られます。帰宅は夜12時前。その後、自身が入浴し、家族のお弁当と朝食作って……、などを終えると大体深夜2~3時(小林は主夫でもあります)。それから読書。朝10時に起きて洗い物等をして出勤しますから、読書タイムを取ることは厳しい。ですが、教えるものが学べ。教師が学びをやめるわけにはいきません。(今月だけでも、小林が読んだ(でいる)本のジャンルを列挙すると、哲学、社会学、宗教学、詩集、ビジネス書、古典、歴史、英語関係となります)。

忙しくても時間のやりくりをして何とか活字に触れる。
忙しい大人だからこその覚悟が問われますね。

次回はどんな本を読むとよいのかについてお話しします。